TOKYO ROCK BEGINNINGS -日本語のロックが始まる「はっぴいえんど」前夜- [No.897]

WOWOWで放送されたドキュメンタリー番組を録画していたのをやっと観た。タイトル通りの内容で,当時の事情を知るものにインタビューしたものをつなげた構成である。東京で英米のロックを聴き,日本人がロックを作っていこうとする黎明期の様子が様々なエピソードで綴られていく。番組を見ながら,なぜ海外の音楽であるロックに日本人である我々は心を惹かれたのかを考えさせられた。

細野晴臣,小坂忠,松本隆らがエイプリルフールというバンドを作り,その中で松本/細野コンビで日本語詞を付けた曲を書く。一方で彼らが大学生の頃,まだ高校生だった鈴木茂,林立夫,小原礼らがバンドを作り,英米ロックのコピーを演奏し,先輩たちを驚かせる。こうした時代の証言が当人たちから次々と引き出されていく。非常に興味深い反面,やはり東京だからこその動きだなという印象が強い。イベントを企画する大学生の団体や,アメリカ留学から帰り後にカメラマンになる野上眞宏などが集まっているのが東京という地だ。先日BSで放送されている「ぶらぶら美術・博物館」のバルセロナ展の回で,やはりパリに出ていかなければ最先端の美術に触れることができない,日本で言えば東京に出なければ駄目だということだ,とコメントされていたのを思い出す。だから番組のタイトルに「TOKYO」が入っているわけだ。

さて,そんな英米の若者文化やロック・ミュージックの情報が比較的得やすい東京だが,だからと言って当時の東京の若者誰しもがロックを聴いていたわけではない。むしろそれは少数だったはずだ。では,ロックに反応してしまうのはどんな人たちだったのか。細野晴臣のコメントでは「歌謡曲とは距離を置いていた」ことが強調されていた。あの時代,日本のポピュラー・ミュージックと言えば歌謡曲が中心だ。松本隆は「GSは興味がなかった」という意味の発言をしていた。形態はロック・バンドでも,職業作家が書いた曲を歌わされていて,結局数年で終わってしまったと。両者のコメントから分かるのは,音楽を演奏したいが,歌謡曲やGSのようにプロの作家が書いた曲はやりたくないということだ。それはつまりオリジナル曲を作って演奏することを意味する。英米のロックバンドがオリジナル曲を作っていることの影響は当然大きかっただろう。ビートルズがその最たるものだ。

英米のロックのコピーはきっと楽しかったには違いない。しかし,自分たちがプロのミュージシャンとしてデビューする,レコードを作るとなった時にはやはりオリジナルで,しかも日本語曲でいく,というのは特に松本隆にとっては外せないポイントだったのだ。この決断によって日本人によるロックが生み出されていくこととなる。

自分自身のことを考えると,すでに日本語のロックは当たり前のものとしてあった時代に学生時代を過ごしている。それでも英米のロックを求めるようになったのは,きっと音としてのインパクトに興味をもったからだろう。荒々しさ,スピード感,エレキギターのひずんだ音色,ビートの力強さ,サウンドのざらざらした感触など,ロックを構成するそうした要素が魅力的だったのだ。中でも私の原点は,そうした要素が凝縮されたUKオリジナルパンクだった。改めてなぜロックを聴いてきたのかを考えさせられた。興味深い番組だった。
はっぴいえんど - はっぴいえんど, 松本隆, 細野晴臣
はっぴいえんど - はっぴいえんど, 松本隆, 細野晴臣風街ろまん - はっぴいえんど
風街ろまん - はっぴいえんどAPRYL FOOL - THE APRYL FOOL, 細野晴臣, 松本隆, 小坂忠, 柳田ヒロ, 菊池英二
APRYL FOOL - THE APRYL FOOL, 細野晴臣, 松本隆, 小坂忠, 柳田ヒロ, 菊池英二

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